チームの歴史

2011年

藤本HC体制4年目のシーズン。主将は2年連続OL延原が就任。
BLAST(自分達の限界を破り、全てを愛し、より高みを目指す。不屈の勇気を持って、あとはやるだけ!)のスローガンを掲げる。
春季グリーンボウルトーナメントでは1回戦エレコム神戸に20-3で勝利、決勝戦はパナソニック電工と対戦し14-16と惜敗。
東日本大震災復興支援チャリティマッチとして6月にアサヒビールシルバースターと対戦し7-7の引き分けに終る。
秋季1stステージは4戦全勝同士で最終節パナソニック戦を迎え、第4Qまで6-6と緊迫したゲームを展開するも最後にTDを奪われ6-13で敗戦。
WEST2位でセカンドステージへ進出。セカンドステージ1戦目はオール三菱ライオンズに24-3で勝利。2戦目はオービックシーガルズと対戦。最初のプレーでTD、DEFもQBサック、ナイスタックルを連発し、前半は終始チャレンジャーズが有利に試合を展開。しかし後半、オービックの猛追に防戦一方となってしまい、残り24秒で逆転TDを奪われ、またしてもセカンドステージでの敗退となった。
チーム広報ではパナソニックとの合同企画「アメフト、観に行かへん?第二弾」を展開。今季もパナソニック戦、セカンドステージでは長居(キンチョウ、陸上競技場)、川崎球場へ多くの皆様に足を運んで頂き、大声援を送って頂いた。

2010年

藤本ヘッドコーチ3年目のシーズン。主将はOL延原潤、副将はDL河西論幸、DB近藤駿吾。
スローガンはOVER and OVER。(何度でも出来るまでくり返す。例え失敗しても立ち上がって挑戦し続ける。という意味を込めて。)
トーナメント方式から交流戦方式変更になったグリーンボウル交流戦では富士ゼロックスに36-0、吹田に20-9で勝利し春季シーズン終了。
秋季シーズン、全勝同士で迎えたパナソニック電工とのリーグ最終戦はタイブレイクの末20-23で敗戦。
WEST2位通過でセカンドステージ進出。セカンドステージ1試合目は明治安田生命パイレーツに29-24で勝利。2試合目は鹿島ディアーズに38-23で敗戦し、そのままシーズン終了。
一方で今シーズンより広報活動を強化。パナソニック電工との合同企画「アメフト、観に行かへん?」を始め様々なイベント企画にチャレンジ。結果、例年以上に多くの皆様にお越しいただくことになった。更には、スタンドからの大声援によって後押しを頂いたシーズンとなった。

2009年

DL和久憲三が歴代最年少24歳で主将に就任。副将はDB池谷陽平、RB林孝治、OL延原潤。
チーム一人一人が行動し、チームを動かす。そして周りの人たちの心を動かす。という信念のもとスローガンは「MOVE」に決定。
23名の新人を数え、登録60名中23名が入れ替わる世代交代のシーズンとなる。また、チーム初となる社会人チアリーダーも結成し更に応援体制を充実させる。
グリーンボウルトーナメントはパナソニック電工に14-69で惨敗し準優勝。
そして秋季シーズン、今年度よりXリーグは3ステージ制を導入。リーグ戦はパナソニック電工に14-32で敗戦し連覇を逃す。WEST2位通過でセカンドステージ進出。セカンドステージ1試合目は日本ユニシスに55-13で勝利。2試合目は富士通に43-21で敗戦。セカンドステージでシーズン終了。

2008年

高橋正人ヘッドコーチから藤本義人ヘッドコーチ体制へ。
前年度移籍のOL矢部寛之が主将に就任。副将はDL河合寛行、DL和久憲三。
スローガンはUNITE (Ultimate NoLimit Intensity Trust Execution)に決定。
グリーンボウルトーナメント決勝は7-38でパナソニック電工に敗戦するも手応えを感じる一戦であった。
また、応援体制を充実させチャレンジャーズらしい応援を模索する1年目となる。
秋季シーズン、迎えたパナソニック電工インパルスとの全勝決戦は24-20でチャレンジャーズの勝利。リーグ戦優勝を果たす。チャレンジャーズにとっては 7年ぶりの関西制覇となり、文字通りスタンドとフィールドとが一体となった一戦であった。この結果によりFINAL6ではシード権獲得。JXBをかけて対戦した鹿島に7-24で敗戦。

2007年

主将LB河口正史、副将WR高橋睦巳、OL平本晴久、DB塚原大輔が就任。
『SOUL TRAIN~Beyond The Rice~』(TRAIN=つながり、導火線、狙う、突き進む、鍛える)をスローガンに掲げ、河口キャプテンの下、フットボールの本質である闘争心やチームワーク、メンタルの部分を強調したチーム作りでライスボウル優勝をめざす。
8月に富士通とエキスポにてプレシーズンゲーム。
秋シーズン、内外電機に10-7で勝利。06年の雪辱を果たす。優勝を目指すが24-0で松下電工に敗戦。
1年ぶりにFINAL6に進出するも一回戦、オンワードに20-0で敗戦。

2006年

主将RB中村多聞、副将LB河口正史をチームのリーダーに抜擢。
5年振りの社会人制覇、6年振りの日本一奪取を目指す。
鹿島とエキスポにてプレシーズンゲーム。
富士通からTE大木一生が移籍、またDB三宅剛司(立命館大)、DL野田岳志(関西大)ら有望新人が加入。グリーンボウル決勝では48-0でアズワンを下し、優勝を飾る。
秋季シーズンはリーグ戦において、17-21で内外電機、そして23-7で松下電工に敗退。FINAL進出ならず。

2005年

3月に尼崎グラウンドがハイブリッドターフに。
ファイニーズからQB木下善仁(龍谷大)、またAFLで日本人初試合出場を果たした
WR高橋睦巳(日本大)が移籍、新人ではLB田中亮佑(立命館大)、DB塚原大輔(京都大)らが新加入。
グリーンボウルトーナメントは松下電工を14-13で下し優勝を飾る。
秋季シーズンはFINAL6、一回戦でアサヒビールに19-22で敗戦。

2004年

山川岳監督から高橋正人ヘッドコーチ体制へ。
グリーンボウルトーナメントは松下電工に決勝で13-31で敗れる。
OL岩本尚奉(東海大)が移籍。新人はK鏑木宗平(立命館大)、WR末方大史(追手門大)も大型レシーバーとして期待がかかる。
春、夏2回関東遠征(シーガルズ、鹿島、富士通と合同練習)。
秋季シーズンはFINAL6、一回戦でアサヒビールに7-10で敗戦。

2003年

山川岳ジェネラルマネージャーが監督に就任。
グリーンボウルトーナメント決勝において27-14で松下電工に勝利。優勝を飾る。
LB田中淳智(立命館大)、DL巌慎吾(近畿大)、WR吉村彰人(同志社大)が移籍。
また新人RB関根剛志(京都大)、QB椙田圭輔(立命館大)も即戦力。スローガンは『Finish it!!』。
IBMとプレシーズンゲームを名古屋で開催。
秋季シーズンに入り、ファイナル6、1回戦においてオービックシーガルズと対戦。16-9で勝利し、
昨年の雪辱をはらす。K橋本は42ydを含む3FGを決め大きく勝利に貢献。
ファイナル6準決勝においては17-41でオンワードスカイラークスに敗戦。

2002年

藤田ヘッドコーチに代わり、山川岳ジェネラルマネージャー体制へ。
RB中村多聞、LB山田晋三がプレーイングマネージャー就任。総合アドバイザーに猿木唯資氏。
RB杉山将人(立命館大)がマイカルベアーズから移籍。また有望新人としてTE河合寛行(関西大)、LB鹿沼圭介(京産大)が加入。
グリーンボウルトーナメントは松下電工に決勝で7-10で敗れる。
学生援護会とプレシーズンゲームを名古屋で開催。
スローガン『日本一以上の日本一』を掲げ秋季シーズンは前人未到の三連覇に挑む。
ファイナル6、1回戦は鹿島ディアーズに勝利。
しかしファイナル6準決勝においてこの年チャンピオンとなったシーガルズに30-0で敗戦。

2001年

『チャレンジ』をスローガンに掲げたチャレンジャーズは、春シーズンは主力を温存。
若手主体のチームでグリーンボウルに挑んだが、松下電工に13-49で敗れる。夏には主力選手が次々に復活。また、LB河口正史(立命館大)・DB秋山徹也(日本大)・DL加藤祐一(龍谷大)らの有望選手も加入し、リーグ戦2連勝スタート。
しかし、山田晋三・中村多聞が復活したマイカル戦に0-10で敗れる。しかし、後がなくなったリーグ最終戦の松下電工戦を14-7で勝利。
そしてこの勢いでアサヒビール・鹿島を連覇し、東京スーパーボウルに進出。
松下電工との2年連続の関西対決を14-7で制し、2年連続の社会人王座に輝いた。
関西学院大学とのライスボウルは27-30で敗戦。

2000年

『打倒関東』、そして東京スーパーボウルを目指し『ブレイク・スルー』というスローガンを掲げた。
グリーンボウルトーナメント決勝で松下電工を7対5で破り春季初優勝。
6月には社会人単独チームとして初の海外遠征を敢行。米国クラブチームのコロンビア・クーガーズにタイブレークの末に33対30で勝利。
秋季リーグ戦では、藤田ヘッド体制となって初めて松下電工に黒星を喫し、4勝1敗の2位となったが、ファイナル6では過去2年間黒星をつけられたアサヒビール、リクルートを撃破し、東京スーパーボウルに進出。
松下電工との初の西地区同士対決を20対18で制し、初の社会人王者に輝いた。
1月3日のライスボウルで学生王者法政大に52対13で圧勝。遂に日本一のタイトルを奪取。

1999年

QB小川賢治(京都大)、LB天河義孝(創価大)等が移籍、OL平本晴久(山学大)等有望新人が加入。
春のグリーンボウルトーナメントでは準決勝で湖北ファイニーズに0対3で惜敗。
秋季リーグ戦は2年連続の全勝優勝を達成。しかし、ファイナル6準決勝でこの年王者となったアサヒビールシルバースターに15対20と惜敗。

1998年

チーム名を『チャレンジャーズ』に変更。
4年間チームを率いた山崎博監督に代わり、京都大から藤田智攻撃コーディネーターをヘッドコーチに招聘。
春季グリーンボウルトーナメント初戦で松下電工を24対5、準決勝でマイカルを3対0で破り初の決勝進出。
決勝はサンスター(当時)に8対13で敗れ準優勝。
夏にNFLELから帰国したRB中村多聞(大経法大)がサンスターから移籍。
リーグ初戦の松下電工戦を23対0の完封で破ったのを皮切りに破竹の快進撃を続け5戦全勝で西地区初優勝。
ファイナル6シード権を獲得。しかし、ファイナル6準決勝でこの年の王者リクルートに16対21で惜敗。

1997年

前年に続きビッグネームが続々と入部。特に山田晋三(関学大)、96年WLAF参戦のLB阿部拓朗(京都大)、SS大島康司(立命館大ら関・京・立のビッグネームを揃えた守備は『ドリームD』の異名をとり、一気に台風の目と目されていたが、秋季リーグ戦は攻撃が
かみ合わずに1勝4敗5位でまさかの入替戦出場。
2部優勝の千趣会(当時)を41対0で破り1部残留。

1996年

Xリーグ体制初年度。RB吉田昌弘、CB内田良平、DT森卓史(共に京都大)、DE中島祥彰(同志社大)、WR西岡琢治(京都工繊大)ら、中心選手が続々入部。
秋季リーグ戦は西地区1勝4敗で3チーム同率4位ながら、看板の守備力で上位陣ともロースコアゲームを展開し話題を呼んだ。
2部1位の富士ゼロックスに24対0で勝利し1部残留。
西日本社会人2部Bブロック5戦全勝。1部6戦全敗7位の名古屋サイクロンズとの入替戦に20対10で勝利し1部復帰。

1995年

秋季リーグ戦の初戦で当時ライスボウル王者の松下電工に0対14と肉薄。第2節ではサンスターに、雨の中対等の守備戦を演じて7対6の大金星を挙げて話題となった。
しかし、2勝4敗でイワタニと同率ながら直接対決で敗れたために入替戦出場。

1994年

1部昇格に向けて関学大卒業後、ユタ州立大フットボール留学を経て、京都産業大ヘッドコーチに就任し、同校ディビジョン1昇格させる指導力をはっきした山崎博氏を監督に招聘。
京都大から上田拓、東前圭のLBコンビ、TE河島隆則(現DE)、OL/DL苗村和良(現OLコーチ)が加入。
10月より江坂ベースボールセンターを本拠グランドとして使用し、シーズン中週4回の練習体制を確立。

1993年

春季トーナメント準々決勝でサンスター(当時)に16対39で敗退。春季トーナメントを最後にミキハウスがスポンサードを終了。
秋季リーグ戦前にアサヒビール飲料(当時/現アサヒ飲料)が後援を開始。ニックネームをレッドベアーズから『ワイルドショー』に変更。秋季リーグ戦Bブロック1勝4敗5位。
翌年から西日本社会人が1部1ブロック7チーム制になることを受けて2部降格が決定。

1992年

春季トーナメントは準々決勝で阪急に0対6で敗戦。この年から秋季リーグ戦は1部2ブロック12チーム制となった。
西日本Bブロックに所属。3勝2敗3位。

1991年

春季トーナメントは準決勝でサンスター(当時)に0対41で大敗。
秋季は西日本社会人Bブロックに所属し2勝2敗でブラックイーグルスと同率ながら、直接対決で敗れて4位。
RB梅村は85回384ヤード2TDで西日本ラッシング2位。

1990年

春季西日本選手権では、準々決勝で創立2年目のマイカルベアーズに6対15の苦杯。
この年より西日本社会人リーグは1部2ブロック10チーム制となった秋季リーグ戦は、西日本社会人2ブロックに所属。2勝2敗3位。
エースRB梅村龍男が74回347ヤード4TDで西日本リーディングラッシャーに輝く。

1989年

ニックネームをシルバータイガースから『レッドベアーズ』に変更。
春季選手権は準決勝で松下電工に0対33で敗戦。秋季リーグ戦は2勝3敗4位。
RB杉森は77回330ヤード2TDでカンファレンスラッシング記録2位。
TE中井達が11回捕球172ヤード1TDでレシービング3位(捕球回数/獲得ヤード2位)。
この年、DB斎木基(大体大)が入部。

1987年

春季西日本選手権は一回戦でサイドワインダーズに6対7で惜敗。
6月にはクラブチームにライスボウル出場権が認められた事に伴う日本社会人リーグ運営細則が発表され、シルバータイガースは西日本カンファレンスのリーディングラッシャーとなった。

1986年

前年までに学生・社会人混成で行われていた春季西日本選手権だが、この年より社会人と学生が別々にトーナメントを実施。
シルバータイガースは初戦でサイクロンズに14対17で惜敗。秋季リーグ戦はAリーグ2勝3敗3位。
エースRB住田徹が61回332ヤード2TDでAリーグのリーディングラッシャーに輝いた。

1985年

8月に日本社会人協会が発足。
学生甲子園ボウル王者と、7実業団(関東6チーム/関西1チーム)が参加する社会人日本リーグの覇者がライスボウルで日本一の座をかけて戦うことになった。
クラブチームは当時社会人全日本選手権だった神戸ボウル優勝が頂点だった。
シルバータイガースは秋季リーグ戦関西社会人リーグBブロック2戦全勝でBブロック1位。
Aブロック入替戦でサイドワインダースに20対0で勝利しAブロックに復帰。

1984年

春季西日本選手権は一回戦で伊藤忠(Bブロック3位)に24対27で惜敗。
秋季リーグ戦は4戦全勝で1位となったか、入替戦でAブロック7位のウイングスに8対22で敗れ昇格ならず。

1983年

『勝てるチーム』を目指し、大阪体育大OBに参入を依頼。
Aブロック復帰を目指した秋季リーグ戦は、4戦全勝で迎えた最終戦で同じく全勝の大阪オンワードに6対28で惨敗し、4勝1敗2位。
このシーズンよりライスボウルが甲子園ボウル覇者と実業団による日本選手権となった。
クラブチームは、東西社会人王座決定戦が頂点だった。

1982年

春季西日本選手権はシードで3回戦から登場したが、サイドワインダーズに0対24で完封負け。
秋季リーグ戦は1勝5敗7位。Bブロック(2部)との入替戦に出場し、Bブロック5連全勝の湖北ファイニーズに20対24で敗れBブロック降格が決定。

1981年

この年から1部7チームとなったが、過去2年中堅をキープしていたシルバータイガースは守備力の衰えが目立ち2勝4敗5位と低迷。

1980年

春季西日本選手権は一回戦で関学大OBチームとして初登場したNACLに6対34で敗戦。
秋季リーグ戦は第2戦のNACL戦14対12を含む開幕3連勝で注目されたが、第4戦で前年度覇者ブラックイーグルスに14対15で惜敗して以降3連敗で3勝3敗3位。

1979年

春季西日本戦選手権大会に初出場。
初戦で伝統チームのサイドワインダーズに48対6と圧勝し話題を呼ぶ。
しかし、2回戦で当時全盛期を誇るブラックイーグルスに8対13と惜敗。
秋季リーグは関西社会人リーグAブロック(1部)に所属し2勝3敗3位。

1978年

桃山学院大学の部員数減少を受けて若手OBが練習相手として大学の練習に参加。
その流れを受けてOBチーム「シルバータイガース」が結成された。
チーム名は桃山学院大のヘルメットの色だったシルバーと、チームの大多数がプロ野球の阪神タイガースファンだったことに由来する。