桃山学院大学の部員数減少を受けて若手OBが練習相手として大学の練習に参加。
その流れを受けてOBチーム「シルバータイガース」が結成された。
チーム名は桃山学院大のヘルメットの色だったシルバーと、チームの大多数がプロ野球の阪神タイガースファンだったことに由来する。
春季西日本戦選手権大会に初出場。
初戦で伝統チームのサイドワインダーズに48対6と圧勝し話題を呼ぶ。
しかし、2回戦で当時全盛期を誇るブラックイーグルスに8対13と惜敗。
秋季リーグは関西社会人リーグAブロック(1部)に所属し2勝3敗3位。
春季西日本選手権は一回戦で関学大OBチームとして初登場したNACLに6対34で敗戦。
秋季リーグ戦は第2戦のNACL戦14対12を含む開幕3連勝で注目されたが、第4戦で前年度覇者ブラックイーグルスに14対15で惜敗して以降3連敗で3勝3敗3位。
この年から1部7チームとなったが、過去2年中堅をキープしていたシルバータイガースは守備力の衰えが目立ち2勝4敗5位と低迷。
春季西日本選手権はシードで3回戦から登場したが、サイドワインダーズに0対24で完封負け。
秋季リーグ戦は1勝5敗7位。Bブロック(2部)との入替戦に出場し、Bブロック5連全勝の湖北ファイニーズに20対24で敗れBブロック降格が決定。
『勝てるチーム』を目指し、大阪体育大OBに参入を依頼。
Aブロック復帰を目指した秋季リーグ戦は、4戦全勝で迎えた最終戦で同じく全勝の大阪オンワードに6対28で惨敗し、4勝1敗2位。
このシーズンよりライスボウルが甲子園ボウル覇者と実業団による日本選手権となった。
クラブチームは、東西社会人王座決定戦が頂点だった。
春季西日本選手権は一回戦で伊藤忠(Bブロック3位)に24対27で惜敗。
秋季リーグ戦は4戦全勝で1位となったか、入替戦でAブロック7位のウイングスに8対22で敗れ昇格ならず。
8月に日本社会人協会が発足。
学生甲子園ボウル王者と、7実業団(関東6チーム/関西1チーム)が参加する社会人日本リーグの覇者がライスボウルで日本一の座をかけて戦うことになった。
クラブチームは当時社会人全日本選手権だった神戸ボウル優勝が頂点だった。
シルバータイガースは秋季リーグ戦関西社会人リーグBブロック2戦全勝でBブロック1位。
Aブロック入替戦でサイドワインダースに20対0で勝利しAブロックに復帰。
前年までに学生・社会人混成で行われていた春季西日本選手権だが、この年より社会人と学生が別々にトーナメントを実施。
シルバータイガースは初戦でサイクロンズに14対17で惜敗。秋季リーグ戦はAリーグ2勝3敗3位。
エースRB住田徹が61回332ヤード2TDでAリーグのリーディングラッシャーに輝いた。
春季西日本選手権は一回戦でサイドワインダーズに6対7で惜敗。
6月にはクラブチームにライスボウル出場権が認められた事に伴う日本社会人リーグ運営細則が発表され、シルバータイガースは西日本カンファレンスのリーディングラッシャーとなった。
ニックネームをシルバータイガースから『レッドベアーズ』に変更。
春季選手権は準決勝で松下電工に0対33で敗戦。秋季リーグ戦は2勝3敗4位。
RB杉森は77回330ヤード2TDでカンファレンスラッシング記録2位。
TE中井達が11回捕球172ヤード1TDでレシービング3位(捕球回数/獲得ヤード2位)。
この年、DB斎木基(大体大)が入部。
春季西日本選手権では、準々決勝で創立2年目のマイカルベアーズに6対15の苦杯。
この年より西日本社会人リーグは1部2ブロック10チーム制となった秋季リーグ戦は、西日本社会人2ブロックに所属。2勝2敗3位。
エースRB梅村龍男が74回347ヤード4TDで西日本リーディングラッシャーに輝く。
春季トーナメントは準決勝でサンスター(当時)に0対41で大敗。
秋季は西日本社会人Bブロックに所属し2勝2敗でブラックイーグルスと同率ながら、直接対決で敗れて4位。
RB梅村は85回384ヤード2TDで西日本ラッシング2位。
春季トーナメントは準々決勝で阪急に0対6で敗戦。この年から秋季リーグ戦は1部2ブロック12チーム制となった。
西日本Bブロックに所属。3勝2敗3位。
春季トーナメント準々決勝でサンスター(当時)に16対39で敗退。春季トーナメントを最後にミキハウスがスポンサードを終了。
秋季リーグ戦前にアサヒビール飲料(当時/現アサヒ飲料)が後援を開始。ニックネームをレッドベアーズから『ワイルドショー』に変更。秋季リーグ戦Bブロック1勝4敗5位。
翌年から西日本社会人が1部1ブロック7チーム制になることを受けて2部降格が決定。
1部昇格に向けて関学大卒業後、ユタ州立大フットボール留学を経て、京都産業大ヘッドコーチに就任し、同校ディビジョン1昇格させる指導力をはっきした山崎博氏を監督に招聘。
京都大から上田拓、東前圭のLBコンビ、TE河島隆則(現DE)、OL/DL苗村和良(現OLコーチ)が加入。
10月より江坂ベースボールセンターを本拠グランドとして使用し、シーズン中週4回の練習体制を確立。
秋季リーグ戦の初戦で当時ライスボウル王者の松下電工に0対14と肉薄。第2節ではサンスターに、雨の中対等の守備戦を演じて7対6の大金星を挙げて話題となった。
しかし、2勝4敗でイワタニと同率ながら直接対決で敗れたために入替戦出場。
Xリーグ体制初年度。RB吉田昌弘、CB内田良平、DT森卓史(共に京都大)、DE中島祥彰(同志社大)、WR西岡琢治(京都工繊大)ら、中心選手が続々入部。
秋季リーグ戦は西地区1勝4敗で3チーム同率4位ながら、看板の守備力で上位陣ともロースコアゲームを展開し話題を呼んだ。
2部1位の富士ゼロックスに24対0で勝利し1部残留。
西日本社会人2部Bブロック5戦全勝。1部6戦全敗7位の名古屋サイクロンズとの入替戦に20対10で勝利し1部復帰。
前年に続きビッグネームが続々と入部。特に山田晋三(関学大)、96年WLAF参戦のLB阿部拓朗(京都大)、SS大島康司(立命館大ら関・京・立のビッグネームを揃えた守備は『ドリームD』の異名をとり、一気に台風の目と目されていたが、秋季リーグ戦は攻撃が
かみ合わずに1勝4敗5位でまさかの入替戦出場。
2部優勝の千趣会(当時)を41対0で破り1部残留。
チーム名を『チャレンジャーズ』に変更。
4年間チームを率いた山崎博監督に代わり、京都大から藤田智攻撃コーディネーターをヘッドコーチに招聘。
春季グリーンボウルトーナメント初戦で松下電工を24対5、準決勝でマイカルを3対0で破り初の決勝進出。
決勝はサンスター(当時)に8対13で敗れ準優勝。
夏にNFLELから帰国したRB中村多聞(大経法大)がサンスターから移籍。
リーグ初戦の松下電工戦を23対0の完封で破ったのを皮切りに破竹の快進撃を続け5戦全勝で西地区初優勝。
ファイナル6シード権を獲得。しかし、ファイナル6準決勝でこの年の王者リクルートに16対21で惜敗。
QB小川賢治(京都大)、LB天河義孝(創価大)等が移籍、OL平本晴久(山学大)等有望新人が加入。
春のグリーンボウルトーナメントでは準決勝で湖北ファイニーズに0対3で惜敗。
秋季リーグ戦は2年連続の全勝優勝を達成。しかし、ファイナル6準決勝でこの年王者となったアサヒビールシルバースターに15対20と惜敗。
『打倒関東』、そして東京スーパーボウルを目指し『ブレイク・スルー』というスローガンを掲げた。
グリーンボウルトーナメント決勝で松下電工を7対5で破り春季初優勝。
6月には社会人単独チームとして初の海外遠征を敢行。米国クラブチームのコロンビア・クーガーズにタイブレークの末に33対30で勝利。
秋季リーグ戦では、藤田ヘッド体制となって初めて松下電工に黒星を喫し、4勝1敗の2位となったが、ファイナル6では過去2年間黒星をつけられたアサヒビール、リクルートを撃破し、東京スーパーボウルに進出。
松下電工との初の西地区同士対決を20対18で制し、初の社会人王者に輝いた。
1月3日のライスボウルで学生王者法政大に52対13で圧勝。遂に日本一のタイトルを奪取。
『チャレンジ』をスローガンに掲げたチャレンジャーズは、春シーズンは主力を温存。
若手主体のチームでグリーンボウルに挑んだが、松下電工に13-49で敗れる。夏には主力選手が次々に復活。また、LB河口正史(立命館大)・DB秋山徹也(日本大)・DL加藤祐一(龍谷大)らの有望選手も加入し、リーグ戦2連勝スタート。
しかし、山田晋三・中村多聞が復活したマイカル戦に0-10で敗れる。しかし、後がなくなったリーグ最終戦の松下電工戦を14-7で勝利。
そしてこの勢いでアサヒビール・鹿島を連覇し、東京スーパーボウルに進出。
松下電工との2年連続の関西対決を14-7で制し、2年連続の社会人王座に輝いた。
関西学院大学とのライスボウルは27-30で敗戦。